個性のこと

そこに歓びがあるなら、がんばってもいい

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がんばれちゃって
がんばりすぎちゃったら

もうがんばれなくなる


体力がもともとあったり
なんでも難なくできちゃったり

それが幼いときからあたりまえだと

成長とともに
少しのがんばりが
「あたりまえにがんばれる」になってしまってる


その「あたりまえにがんばれる」に
さらに体力がついてこれちゃうと

そのがんばれる、を自分の能力や価値と思い
がんばってしまう

きっと肝臓のように
限界きててもがんばれちゃう

そんな性質なのかもしれない

でもいつの日か
コップの水が溢れるように
これ以上伸びない、とゴムが切れてしまうように

強制終了が
やってくるのね
きっと


その強制終了の形が

もう体力が追いつかない、ということなのか
身体が動かない、ということなのか
心がポッキリ折れて戻る気がしないてことなのか

自由が制限される状況になってしまうのか
目とか耳とか口でコミュニケーションが
難しくなってしまうことなのか

お金に困ってしまうとか
仕事に困ってしまうとかなのか

それはきっと
その人にとって
もうがんばれない状況に
最も相応しい

そんな試練なんだろな

「しょうがないよ。こうなっちゃったら。
 もう諦めるしかないさ」って思えるような。

道端の花は
ただそこで芽を出し成長して
花を咲かせる

がんばっているのかもしれないけど
がんばりようもないのかもしれない

根を張り葉を伸ばし
花を咲かせ種を残し

ただそこで一生を送るという花の命に

けど、ただそこにあるというその強さに

無尽蔵なエネルギーを感じ

がんばってがんばって生きることに辟易し
今がいやってほど過酷だとしても

それは命のかぎりを生きる
生き様のひとつだと
間違いのない選択だと
なんだかそんな風に思う

がんばることがあまり奨励されない風潮もある
このところのココロとの新しい付き合いかた

でもがんばることが好きな人は
がんばってもいいんだと
私はそんな風にも思う

 

この記事を書いた人
有賀 理香
生きかたアナリスト。他人を認め自分を認め、生き辛い社会から生きやすい社会への気づきのきっかけを提唱している。
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