自然界はいろんな要素で成り立つ。
宇宙空間に浮かぶ美しい『地球』という星を構成する、水、土、植物、鉱物、そしてそれらを動かす力となる、風、熱、光、など。
あたりまえの景色をあたりまえに構成しているこのたくさんの要素たちは、私たちの地球という自然環境の中で、実に絶妙なバランスを保っている。
そして脈打つ私たちがいのちを繋いでいけるのは、この絶妙なバランスの中にあるおかげだということを、いつも心に留めておきたいほど、ありがたいことなのです。
川口由一氏の提唱する自然農と私が出会ったのは、長女の湿疹とどう向き合っていいのか途方に暮れていたときでした。
食べ物が体に影響をおよぼすことは百も承知でいたわけですが、何がよくて何がよくなくて、何をどうしたらいいのかさっぱりわからなかった私を、この自然農という、単なる農業の方法ではない「壮大な宇宙観を伴った哲学」が救ってくれたのでした。
共生と共存。お互いがあり、お互いを認め、お互いが支え、お互いを生かし、すべてはそこに十分にあり、循環し、終結する。
大宇宙という宇宙空間に浮かぶ地球の土の中には、大宇宙に匹敵する小宇宙があった。すべて完璧に。
その気づきは、作物が「私たちのいのちを生かすための食物である」ことがどれだけ大切であるか、は当然のことながら、この世界に生まれ出た私たちのいのちを全うする「人生という舞台」のすべてに応用しうる礎であり、豊かさであり、創造の源であるということにまで及ぶ、大きな大きなものでした。
中国医学は、陰陽という概念と、五行という五つに分類した要素の概念で理論立て、診断や治療を行う医学です。
体を構成する要素や、生命を生かし維持するためのはたらきも、地球環境のそれらと全く同じものとしてとらえられていて、すべては一連の成り立ちであり、すべてがあることが重要で、影響しあい、助け合う関係の一定の法則が、健やかな生命活動を支えています。
自然そのものの営みと人間のいのちの営みが同じものである、ということを、数千年の歴史をもつ中国医学は物語っていると感じるのです。
植物、動物、人間と考えた時、見た目や平均的いのちの期間、生きざまなど、全く異なるものと見てとれます。
でも、この宇宙で物質を構成するものを分子や素粒子という単位で見てみると、実は分けへだてなく、すべては同じもので構成されている、という解釈ができると思います。
そんな同じ成分の仲間同士の地球で、人間というのは、自分たちの都合で、優劣や良し悪しの物差しを使い、まるでこの地球は自分たち人間のものであるかのように、好き勝手ふるまう唯一の生き物だと私は感じています。
でもでも。
同じ単位で構成されているすべてのものは平等に横並びで、あれもこれも、あなたも私もみんな同じであり、大いなる自然界という環境で生きる私たち生き物は、なんの疑いもなく、自然の一部でしかなく、そして自然の一部という人生を楽しんで生きているわけです。
熱い空気は上へ上がり、冷たい空気は下へ下がり、水は上から下へ流れ、熱せられると水は水蒸気となって上へ上がる。
空気や水は流れることが性質で、水は物質的な栄養を運び、止まれば傷み滞り、滞ると淀み、淀めば活動が阻害され、やがて腐敗が始まる。
自然環境のあり方は生き物のいのちの営みと何ら変わりなく、自然環境のあり方をよく観察し、自分へ応用できたとしたら、みずからが今どのような環境で、どのような状態で、やがてその状態がどうなっていくかということは、ある程度想像がつき対応ができ、対策もできる、というものなのですね。