そう、わからないと動けない
これ、私の特性
目標値、という意味ではなく
あそこまで行けばいいよ、あれだけ終わらせればいいよ、
という作業的なゴールではなく
生きる意味、やる意味がわからないと
私は動けない
目標値はむしろ邪魔で
自由を制限されている感じがして
思いっきり能力を活かせる気がしない
でもそれをやる意味が腑に落ちたら
そのときの私は最強なんだ
誰かと競うことはしたくなく
その意味のために
ひとりででもとことん打ち込める
けどもしそこに同志がいたら
得も言われぬ悦びと共に
私は心の底から
その意味のためにがんばれる
それは絶対なんだ
たぶん
多くの人が驚くほど
私はがんばれる
乾ききった大地を緑豊かにすることがその意味であるならば
そしてその大地が乾ききった荒野であればあるほど
私は水を得た魚のように
その意味のためにがんばれてしまう
それが私であり
それが私の生きたい生き方
もし誰かにそう聞かれて
大してなにかに情熱を注げないからって
自分はダメだとか思う必要はない
上っ面な言葉ではなく本気でそのことばかり口にする人からの言葉だとしたら
それはその人が【情熱】がすごく大切で
それを“生きる理由”と感じている人だと思ってもいいと思う
また誰かに
「もっと冷静に行動したら?」と忠告されたとしても
いつも感情のままに熱く燃え上がってしまう!
楽しくポップにいこうよ!と思ってしまうとしたら
熱くポップに自分の思うように生きたらいいのです
冷静に、と嗜める人は
冷静でいることが、その人のあり方であり
それがなによりベストなあり方であると
人生において、生まれつきそう思っているのです
人はみな
自分のベストを生まれつき持ち、それを自然に生きている
それが個性であり
そしてみんな違ってあたりまえのものなのです
自然と共に生きることをやってみるのに何が必要って
自然の理を理解することがなにより必要になる
天候、温度、水や土や風の特徴など
それらの特徴や特性を知り
それらを上手に暮らしに活かし
そして共存しながら生きていく
智恵を使い
要領をおさえると
必要以上にエネルギーを消耗することはなくなるんです
嵐には嵐の意味があり
私たちはそんな中、危険を冒して暮らす必要はなく
日照りにもその意味があり
炎天下、必死で生い茂る草や乾いた土地と戦う必要もないのです
エネルギー値の低い冬にせっせと土から栄養を奪うことをせず
春の芽吹きの季節にその威力を発揮できるように
適度の肥やしを適当なタイミングで施す
梅雨の雨量の多いときは自然と草がのびるわけで
梅雨が終わり
ある程度草が伸びてしまってから
早朝太陽が昇る前に
できる分だけ、邪魔になる分だけ
草を管理する
そんなひと工夫で
大変な作業は最低限な回数で済み
温存できたエネルギーを重要な作業に注ぐことができる
つまりは
その特性を知るということは
とても省エネになるということです
特性とは個性
人の持つ個性ってやつも
水や土や風の持つ特性のように
みんなそれぞれの性質ってのがある
だからそれぞれの人がもった特性を理解することは
上手に共存し
上手に暮らしに活かしあい
ムダにエネルギーを使って消耗したり
ムダに争いや戦いを繰り広げるなんてことのない
エコで優しい人づきあいができる
そんなことを創り出すことができる
人は自然界の現象や言葉の通じない別の生き物と違い
言葉を使ってコミュニケーションを図るという
とても充実した時間を営むことができる
それはとても大切な営みで
人の社会で豊かに生きるには
欠かすことのできない営みで
でももしそこに大きな消耗が生じるコミュニケーションがあったとしたら
もしそこに注ぐ時間や気持ちを、もっと他に費やしたいと思うのだとしたら
相手の特性を知ってみて
知った上で、人間のもつ「理性」ってやつをフル活用し
お互いを認めあう
建設的なコミュニケーションを図るという選択肢を
持ってみるのはどうでしょう?とオススメしたいと思っています。